カナロコ

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神奈川新聞社が戦後、神奈川県内で撮影してきた写真の一部をご紹介します。

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神奈川県内

川崎

1961年
 川崎駅

1958年に駅ビルが完成した川崎駅東口

左の市電は1969年に廃止、中央の京急は1966年に高架化された

1965年
 川崎球場

高橋・大洋・ロッテの本拠地となった川崎球場

工場で働く人たちのためにいち早くナイター設備が整えられた

1973年
 武蔵小杉駅南口

東急東横線の改札がある南口

再開発で線路(右)沿いは、武蔵小杉東急スクエアなどが入る高層ビルや広場「こすぎコアパーク」などに

1978年
 武蔵小杉駅北口

南武線の改札がある北口

1984年に現在のような橋上駅舎になった

1980年
 武蔵小杉駅北口バスターミナル

くし形だった北口のバスターミナル

1978年
 新丸子駅

地上線だった頃の東急東横線新丸子駅の東口

1990年代から複々線化工事が始まり、2000年に東急目黒線が乗り入れた

1979年
 等々力球場

1967年に完成した川崎市営の等々力球場。2020年に改修され、県内最大のフィールドを誇る

近くには社会人野球の強豪・日本石油の球場(現在のENEOSとどろきグラウンド)や、かつては川崎球場を本拠地とした大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)の練習場もあり、等々力は野球に縁の深い場所でもある

東横池と呼ばれた砂利採取跡のため池や農地が広がる景勝地だった一帯を川崎市が開発、1960年代後半には野球場の他テニスコートや陸上競技場などができた

1993年
 再開発前夜の溝口

中央に黄色い電車が走る南武線の武蔵溝ノ口駅、左に東急田園都市線の溝の口駅

1970年代から構想のあった再開発は難航し、一部の区画では行政代執行にまで至った。97年、武蔵溝ノ口駅前(右奥)に再開発ビルのノクティプラザがオープン、バスターミナルやペデストリアンデッキなども整備され、駅前は一変した

横須賀・鎌倉

1968年
 どぶ板通り

1982年
 EMクラブ

1971年
 大型店続々

昭和40年代、神奈川県内では、人口の急増とともに大型の商業施設が続々と進出。

横須賀中央駅前では、1967年に開店したセンターヨコスカ(現在の横須賀プライム)をはじめ、68年にはさいか屋(中央奥)が増築、70年には西友を核とするジャンボ・スクエア・ヨコスカ(中央手前)がオープン、74年にはさいか屋がさらに敷地を広げて増築するなど大型店ラッシュになった

1987年
 さいか屋

横須賀で創業し長らく中心的な商業施設として親しまれてきた百貨店・さいか屋。

戦前から徐々に店舗を広げ、1990年には海側に新館と南館もオープンしたが、2010年に大通りに面した主力店舗(写真)が閉店。2021年、新館・南館も一旦閉店し「SAIKAYA YOKOSUKA SHOPPIING PLAZA」を愛称とする新たな店舗に生まれ変わる

1960年
 城ケ島大橋が開通

1970年
 三崎港 マグロの水揚げ

1980年
 鎌倉駅

鎌倉駅東口の旧駅舎

1984年に建て替えられ、時計台は西口の広場で保存されている

1972年
 江ノ電

江ノ島駅から腰越駅にかけての併用軌道

1954年
 鎌倉カーニバル

久米正雄や大佛次郎らが発案し夏の風物詩だった鎌倉カーニバル

映画会社など様々なフロートが市内各所を回った

1955年
 材木座海岸

海水浴シーズンには回転ブランコや観覧車も設置された

湘南

1978年
 藤沢駅南口

駅舎の奥には、1972年まで江ノ電のホームがあった

1963年
 平塚駅北口

広々とした平塚駅の駅前広場

この年に百貨店「梅屋」(現在のユーユー本館)、1973(昭和48)年に駅ビル「ラスカ」がオープンした

小田原

1962年
 新幹線工事中

開業を2年後に控えた東海道新幹線の工事が進む小田原駅の西口付近

左奥に立つ小田原城は、1960(昭和35)年、約90年ぶりに再建されたばかり。左隅に箱根登山鉄道の電車も見える

1969年
 小田原駅

1923(大正12)年の関東大震災、45年の終戦当日まで行われた空襲、64年の東海道新幹線開業も経て生き残った駅舎

現在は建て替わり駅ビル「ラスカ」がオープンした

1974年
 大雄山線

伊豆箱根鉄道大雄山線の小田原駅

開業50年を迎えた頃で、戦前生まれの車両が活躍していた

2020年
 ミナカ小田原オープン

12月4日、小田原駅東口の商業施設「ミナカ小田原」がグランドオープン

地上14階のタワー棟と写真の4階建て「小田原新城下町」棟に、足湯や飲食、物販店舗、図書館などが入る

箱根

1956年
 元箱根

国道1号を大芝から元箱根に下るところ

元箱根は、関東大震災の被害が比較的少なかったことなどから、芦ノ湖の観光拠点として栄え、戦前から西武鉄道系の遊覧船が湖尻との間を運航していた

1956年
 湖尻

駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道)の遊覧船乗り場

当時、西武系の駿豆と東急・小田急系の箱根登山鉄道は、「箱根山戦争」とも呼ばれた熾烈な観光開発競争を繰り広げていた。1950年に登山側が近隣の桃源台にさん橋を作り遊覧船に参入すると、なりふり構わぬ客引きの舞台にもなった

1956年
 箱根登山ケーブルカー

1921年に開通した箱根登山ケーブルカーは、戦中の休止を経て、1950年に復活した

写真の車両は1971年まで運行された2代目

1964年
 海賊船登場

小田急系の箱根観光船が、海賊船をイメージした遊覧船「パイオニア」を進水。当時は、船体に備えられた大砲から空砲を放ちながら航行したという

1961年、伊豆箱根鉄道が日本で初めて導入した双胴船に対抗したもの

1960年
 箱根ロープウェイ

1959年12月に早雲山-大涌谷間が開通、1960年9月に桃源台までの全線が開通し、当時日本最長のロープウェイになった

西武系の「箱根ハイウエー」に対抗し、小田急系では、箱根登山電車、箱根登山ケーブル、ロープウェイ、観光船を合わせた回遊ルートを「箱根ゴールデンコース」として売り出した

1966年
 箱根新道

箱根新道の駐車帯に並ぶ露店

モータリゼーションが急速に進んだ1960年代、この箱根新道や芦ノ湖スカイライン(1962年)、箱根ターンパイク(1965年)など、相次いで自動車専用道路が開通した

1973年
 箱根湯本駅

駅舎建て替えを翌年に控えた箱根湯本駅

駅前が狭く、温泉街と行き来する人の流れと、急増していた自動車で混雑が深刻化していた

1974年
 箱根登山鉄道

風祭-箱根板橋間を走る箱根登山鉄道モハ1形

小田原-箱根湯本間は1888年に小田原馬車鉄道が開通した箱根登山鉄道のルーツといえる区間。2006年から小田急の電車のみで運行されるようになり、この光景も見られなくなった

相模原・県央

1954年
 相模原市市制施行

当時の相模原市役所前

1969年
 厚木中央通り

相模大橋から中町交差点にかけて、道の両側に防災建築がずらりと並ぶ厚木中央通り。市街地を耐火建築で隔て延焼を防ぐ目的もあり、1960年代に8棟が建てられた

その後、商業の中心が本厚木駅周辺に移ったことから、マンションに建て替わるなどして、およそ半分が解体された

秦野

1958年
 農業機械化進む

「ことしはガーデン・トラクターでいこう」と1月3日の本紙1面

前年11月、陸稲が豊作だったこの耕地で、農林省が農村機械化展を開催。15万円と高価だったが、目新しさも手伝って、早速導入した農家も

1959年
 大秦野駅前

第11回小田急駅伝競走大会のランナーが、大秦野駅(現在の秦野駅)でたすきをつなぐ。牧舎風の駅舎は開業以来のもの

同大会は、実業団、青年、高校生の部に分かれ、原町田駅(現在の町田駅)から箱根湯本駅まで、8区間・65.7kmを走った

1950年代
 たばこ工場

かつて秦野の名産品だったたばこ。日本有数の葉タバコ産地であり、1899(明治32)年には国の試験場も開かれた

写真は、当時人気のあった両切り紙巻きたばこ「いこい」の生産ライン

1960年頃
 秦野たばこ祭り

1948年に始まった秦野たばこ祭り。「ピース」などたばこのパッケージが飾られたフロートが秦野市内を練る

葉タバコの品評会をはじめ、農機具や竹製品、工業製品の展示会など秦野の特産物をアピールすると同時に、パレードや「たばこ音頭」、火祭りなどで、近隣市町からも多くの人を集めた

1960年頃
 ミスたばこ

当時、たばこ祭りのメインイベントだった「ミスたばこコンテスト」

秦野市内をはじめ県内各所から応募者が集い、選ばれたミスと準ミスは、トラックの荷台やオープンカーに乗って市内をパレードした

1988年
 クスノキは残った

閉鎖される日本たばこ産業秦野工場で、従業員らが記念撮影。葉タバコの耕作は1984年にほとんどが終了、落花生や野菜類への転作が進んでおり、江戸時代から続いたとされる秦野たばこの歴史に幕を下ろした

このクスノキは、1905(明治38)年の工場開設時に植えられたもの。跡地に立つイオン秦野ショッピングセンター内で、今も名残りをとどめている