掲載されている記事・写真は個人の閲覧に限ります。
各種媒体に利用する際は神奈川新聞社への申請が必要です。
神奈川新聞社が戦後、神奈川県内で撮影してきた写真の一部をご紹介します。
他にも多くの写真がありますので、各種メディアにご使用の際は、お問合せください。
桜木町・みなとみらい21(MM21)地区
1927年
桜木町駅舎完成間近
1923(大正12)年の関東大震災で被災した鉄道開業以来の駅舎に代わって、現在の新南口がある辺りに建てられた。1989(平成元)年まで使用された
横浜貿易新報1927(昭和2)年5月14日付
1954年
桜木町駅前広場
タクシーが並ぶ駅前広場。現在の新南口を出た辺り
右奥の建物は中区役所、その後市民ギャラリーになった
1955年
三菱横浜造船所
現在のみなとみらい21(MM21)地区にあった三菱日本重工業(現在の三菱重工業)横浜造船所。明治期に開設され氷川丸などを建造した横浜船渠が前身で、この年は造船ブーム、輸出船ブームに沸いていた。翌年、日本の造船業は世界一になった
写真は、建造中の輸出向けタンカー。へさきの辺りに、現在、横浜美術館が立つ
1956年
桜木町駅構内
天井の高い桜木町駅構内に飾られたクリスマスツリー
1957年
弁天橋と桜木町駅
現在、横浜市庁舎が立つ辺りから写したもの
市電が渡る弁天橋の奥が桜木町駅舎
1959年
桜木町駅前
野毛側(現在の桜木町駅前駐車場の辺り)からクレーンが並ぶ三菱横浜造船所方面を写したもの
桜木町駅前は多数の系統が集まる市電のターミナルだった
1959年
桜木町駅前の奉祝塔
4月10日の皇太子ご成婚に向けて立てられた奉祝塔
「ミッチーブーム」が起こりテレビ普及のきっかけともなった
1959年
桜木町駅前
野毛から駅に向かう人たち
1961年
雨の桜木町駅前
高島町側(現在の横浜市健康福祉総合センターの辺り)から尾上町方面を写したもの
1964年に開通する根岸線の工事が始まっている
1964年
根岸線開通
桜木町-磯子間に根岸線が開通
横浜市南部の住宅、工場開発が加速した
1969年
年末の東横浜駅
年末年始の荷物が山積みの東横浜駅構内
横浜と全国を結ぶ貨物の発着点だったが、この年には東名高速道路が全通、自動車輸送に役割を譲り始めた頃
1972年
根岸線と東横線
2004年までみられた国鉄(現在のJR)根岸線(左)と東急東横線(右)の並び
右奥に見える桜木町ゴールデンセンター(現在のぴおシティ)は1968年完成
新旧対比
1970年
再開発前夜の三菱横浜造船所
現在のみなとみらい21(MM21)地区に広がっていた造船所。明治期から横浜港のインフラを担い続けてきたが、都市化の進展とともに、横浜駅周辺(左奥)と桜木町・関内(手前)を隔て、都心部の発展を阻む存在としてみられるようにもなった
この後訪れる石油危機などで、1970年代に造船不況が深刻化、1980年に移転が決まった
1987年
みなとみらい21造成中
造船所が金沢区に移転し、1983年から開発が始まったみなとみらい21(MM21)地区
桜木町駅の海側は、砂ぼこりの立ち込める造成地が広がり、1985年に公開が始まった日本丸(右手前)と1988年に建物が完成した横浜美術館(中央)が目立つ
1979年
東横浜駅
桜木町駅の海側に隣接していた貨物専用の東横浜駅。桜木町駅のホームから写したもので、現在のバスターミナルや富士ソフト本社、ワシントンホテルが立つ辺り
この年に閉鎖され、横浜羽沢駅に機能を移した
1980年
臨港線走るSL
横浜開港120周年、横浜商工会議所創立100周年を記念した列車が、現在は遊歩道「汽車道」「山下臨港線プロムナード」などになっている臨港線を走った
かつて船客を運ぶボートトレインもけん引したC58形蒸気機関車を先頭に、桜木町駅に隣接した貨物駅・東横浜駅から、山下公園を通って山下ふ頭まで、公募で選ばれた横浜市民らを乗せた
1987年
建設中の横浜美術館
国際文化都市シンボルとして、みなとみらい21(MM21)地区の中央に、1985年、いち早く着工された横浜美術館
丹下健三氏設計の建物は、「展望ギャラリー」のある港側を正面として、巨大な作品も展示できる円筒形の「グランドギャラリー」など様々な特徴を持つ
1989年
横浜博YES'89
宇宙と子供たちをテーマに開催された「横浜博覧会・YES'89」。みなとみらい21(MM21)地区をアピールする役割も果たした
1989年
横浜博に36万人
10月1日の閉幕を控えた9月23日、会期中最多の36万2千人余りが横浜博に入場。地方博覧会の1日の入場者数過去最多を更新した
横浜美術館前の通り(写真)など、場内は人で埋まり、入場に5時間待ちのパビリオンも。191日間の入場者数総計は1333万人を超えた
1989年
横浜博臨港線
横浜博会期中、桜木町駅前の日本丸駅(左)から山下公園駅までの臨港線をディーゼルカーが走った
1989年
横浜博ゴンドラ
横浜駅から横浜博会場へのアクセス路となったゴンドラ
造成中のみなとみらい21地区をまたぎ、東口のそごうと横浜博ゴンドラゲート(現在のけいゆう病院北側周辺)を約2分半で結んだ
1989年
桜木町駅新駅舎
横浜博覧会の玄関口となる桜木町駅が、62年ぶりに駅舎を一新
それまで関内方面を向いていた駅舎は、横浜駅側に位置を変え、みなとみらい21(MM21)地区を向くようになった
新旧対比
1987年
みなとみらい21造成中
次の写真のわずか5年前の姿。手前の桜木町駅は改修工事が始まっている
桜木町駅の海側は日本丸(右奥)と建設中の横浜美術館(左奥)の他は一面の造成地
1992年
ランドマークタワー建設中
横浜博覧会が閉幕、パビリオンが撤去され、みなとみらい21(MM21)地区が姿を現し始めた
1990年にコスモワールド、1991年にパシフィコ横浜がオープン。当時高さ日本一を誇った横浜ランドマークタワーの建設が進む
2004年
さようなら東急東横線
国道16号に沿って走る東急東横線。高架下の落書きは、名物にも社会問題にもなった
みなとみらい線の開業を前に、1月30日の終電をもって横浜-桜木町間が廃止された
2020年
新南口オープン
桜木町駅の新しい改札口「新南口(市役所口)」がオープン。31年ぶりに大岡川に沿った鉄道発祥の地に桜木町駅が帰ってきた
併設された駅ビルには商業施設「CIAL桜木町ANNEX」やホテル「JR東日本ホテルメッツ横浜桜木町」が入る
2020年
医療従事者に感謝
新型コロナウイルスの対応に当たる医療従事者に感謝とエールを伝える「ブルーライトアップ」が横浜市内各所で行われた
横浜美術館では、4月25日から5月31日にかけ、建物の柱などが青く照らされた
2021年
都市型ロープウエー
「都市型循環式ロープウェイ」“YOKOHAMA AIR CABIN(ヨコハマエアキャビン)”が運行開始。都市部で平地を結ぶ常設型ロープウエーは日本初
桜木町駅前と、みなとみらい21新港地区のワールドポーターズ前との間約1.2kmを、36台のゴンドラが約5分で結ぶ
野毛
昭和20年代
露店が並ぶ錦橋通り
現在の野毛桜通り
写真奥、都橋の対岸には米軍のかまぼこ兵舎が見える
1954年
野毛夜景
野毛本通りの野毛坂側入口
接収を免れた野毛は戦後いち早く栄えた
1959年
野毛本通り
都橋から野毛坂方面を写したもの
露店が道路にせりだして立ち並んでいる
1964年
都橋商店街
本通りに立ち並んでいた露店が入居した共同ビル
飲食店だけでなく靴屋・はんこ屋などの看板も見える
伊勢佐木町
1958年
伊勢佐木町夜景
現在のカトレヤプラザ(元・松坂屋)前からオデヲン方面を写した
不二家の接収も解除され活気を取り戻しつつあった頃
1959年
伊勢佐木町
写真左手前が有隣堂、右が野澤屋(その後松坂屋)
右奥の松屋はエクセル伊勢佐木として今も建物が残っている
1970年
伊勢佐木町3丁目
建替え直前の横浜松竹劇場(オデヲン・現在はドン・キホーテ)
中央奥にはかつての湘南デパートの建物も見える
1975年
伊勢佐木町4丁目
左奥は屋上の「赤トーダイ」が目印だった松喜屋(現在のピアゴ)
丁目ごとに様々なデザインのネオン塔が建てられた
1978年
福富町のキャバレー
伊勢佐木町と野毛の間にある福富町の夜
関内
1959年
県庁・海岸通り
シルクセンターから眺めた海岸通り
左に県庁、右に税関、突き当りには生糸検査所(現在の第二合同庁舎)が見える
1959年
完成間近の横浜市庁舎
左の派大岡川上に1964年関内駅ができた
右手前は横浜公園体育館(元・米軍フライヤージム)
1962年
平和球場(横浜公園球場)
横浜スタジアム建設のため1977年に解体された
中央奥、左から開港記念会館、税関、県庁の三塔が見える
右奥には武道館、その奥に米軍のチャペルセンターがあった
1969年
関内駅北口
羽衣橋たもとの旧松屋(その後三和銀行)から写したもの
右に流れる派大岡川は埋立てられ首都高速になった
馬車道
1950年
馬車道・尾上町
馬車道交差点付近
吉田橋側から接収の続く県庁方面を写したもの
1960年
馬車道商店街
かつて平安堂薬局があった辺りから吉田橋方面を写したもの
元町・中華街・山手
1959年
元町商店街
西の橋側(石川町側)の入口
米軍住宅に近く外国人の姿も多く見られた
1969年
元町商店街
元町3丁目から石川町方面に向かって写したもの
1985年に歩車共存の街路が整備された
1950年代
山手の外国人墓地から
市心部の多くは連合国軍に接収されていた
高い建物は少なく県庁や税関の塔が目立つ
1964年
石川町駅
開業したばかりの石川町駅
山手から関内方面を写したもので、右奥に横浜中央病院が見える
1955年
中華街
牌楼が完成した中華街
加賀町警察署前にある現在の善隣門
本牧・根岸
1953年
歓楽街
本牧には明治期から外国人相手の酒場やダンスホールが立ち並んだ
第二次大戦後1950年代後半まで、進駐軍専用の歓楽街になった
1957年
三渓園の海水浴場
春は潮干狩り、夏は海水浴でにぎわった
埋め立て後の1969年に本牧市民公園が開園した
1958年
間門海岸の落ち海苔拾い
埋め立てが始まるまで、本牧から金沢にかけての海岸沿いは海苔養殖が盛んだった
1959年
本牧神社のお馬流し
現在のイオン本牧辺りを歩くお馬流しの行列
道路の両側には米軍住宅を仕切る高いフェンスがあった
1964年
開業間近の根岸線
開業を控え試運転中の根岸線(根岸-磯子駅間)
写真奥は日石(現在のJXエネルギー)根岸製油所
1966年
米軍住宅
本牧や小港の一帯には1982年まで米軍住宅地区が広がっていた
1971年
米軍PX
米軍関係者向けの売店や映画館
現在の山手警察署のはす向かいにあった
1974年
ディスコ・リンディ
1960~80年代の本牧通りにはディスコやライブハウスが数多くあった
1974年
レストラン・ベニス
リンディの近く本牧町1丁目にあった
横浜港
1958年
大さん橋に観光船
イギリスの豪華客船カロニアが着いた大さん橋
市内観光に向かう船客を乗せたバスが連なっている
1961年 山下公園
シルクセンターから眺めた山下公園・山下ふ頭
海岸通りには香港上海銀行、米領事館などが立ち並んでいた
1959年 移住船
中南米への移民船ぶらじる丸を見送る人々
1973年まで数多くの移民船が大さん橋から出港した
1961年 海岸通り
マリンタワーができたばかりの海岸通り
中央はホテルニューグランド
1961年 横浜港駅
横浜港駅(赤レンガ倉庫前)に着いた「汽笛一声号」
船客・見送り客を乗せたボートトレインは1960年まで運行された
1965年 象の鼻
コンテナ化前は港湾輸送の主役だったはしけ(象の鼻付近)
はしけで生活する子供たちのための学校もあった
1969年 山下ふ頭
山下ふ頭での荷役風景
コンテナ化が急速に進み始めた頃
1968年 バンドホテル
バンドホテル
左側の新館最上階にナイトクラブ「シェルルーム」があった
1975年 QE2初入港
クイーン・エリザベスⅡが横浜初入港
大さん橋や山下公園には20万人が詰め掛けた
1989年 QE2ホテル船に
横浜博にあわせて入港したクィーン・エリザベスⅡ
会期中はホテル船として大さん橋に停泊した
1989年 横浜博覧会・YES'89
開港130周年・市制100周年を記念した横浜博覧会(YES’89)
左手前の日本丸と横浜美術館の間にランドマークタワーが建った